皆さんお久しぶりです。4月に4年生となりました、貝沼蓮です。
4月30日、法政大学の長岡研究室との合同ゼミを行いました。橋本研究室3年ゼミと長岡研究室の学生を合わせ、40人以上のゼミとなりました。他大学の人と、大人数で同じ授業を行うのはとても新鮮でしたが、お互いにすぐ打ち解け質の高いディスカッションを行うことができました。
今回の授業は、1本の映画を鑑賞し、テーマを絞ってディスカッションをしました。映画のタイトルは、
『ショーシャンクの空に』(原題:The Shawshank Redemption)です。
目次
『ショーシャンクの空に』とは?
『ショーシャンクの空に』は、1994年に公開されたアメリカ映画です。
妻とその不倫相手のプロゴルファーを殺した容疑をかけられ、無実の罪によってショーシャンク刑務所に収監されたエリート銀行員・アンディ。タバコや映画女優のポスターをはじめ何でも外部から調達してくる「刑務所の調達屋」・レッドに出会い、アンディは少しずつ刑務所の暮らしに慣れていきます。
規律と暴力により囚人たちを支配する刑務所・ショーシャンク。そこは、囚人達が更生したかに関わらず年老いるまで収監し、社会から隔離する場所でした。レッドをはじめとする囚人たちは、長期間収監される中で外の世界に出ることへの希望を失い、刑務所での暮らしに依存していました。
その中でアンディは銀行員の知識を生かして刑務所の会計係となり、図書室を増設して囚人に学を与え、そして・・・。これらはアンディに刑務所での長い時間に安らぎをもたらし、外の世界に戻るための希望となっていたのです。アンディは常に希望を持ち続け、アンディを支えるレッドたちの希望となっていたのです。
『希望』とは何か?
今回の映画を見るにあたって、私達は大きなテーマである「希望」に着目し、各々が感じた「希望とは何か」について討論を行いました。あえて漠然としたテーマにすることで、一人一人が映画を見て感じたこと、普段から自分が感じていること、思い思いを自由に語ることができました。
ゼミ全体で発表して下さった意見をいくつか紹介します。
『希望とは自分以外の誰かに必要とされることではないか?』
誰かのために頑張るという経験、皆さんはしたことがありますか? 実はそれが、自分にとっての希望となっているかもしれません。人は自分以外のモノを必要とした時、それを希望として捉えるのだろうと考えました。映画の登場人物にとって希望となる人(モノ)は何か、色々な観点から考察してみました。中にはアンディとレッドは互いに互いを希望としている、という親友関係ならではの希望もあるという考え方もありました。
『絶望=希望であり、刑務所などのマイナスな環境であるほど、希望は生まれやすいのでは?』
劇中でアンディが刑務所に入れられた時のように、社会から隔離されるというマイナスな環境の中でこそ、「外に出る」といった希望を持つことができたのではないか?という考え方もあります。私達が普段生活している場所は刑務所ほど厳しくはないはずなので、なかなか不満を感じることは少ないと思います。追い込まれた状況の中で、状況を打開したいという思いが希望に転じるのではないのでしょうか。
『希望≒リーダーシップ?』
リーダーシップを発揮する人は周りの人からすれば目標を与えてくれる人物であり、希望となるでしょう。劇中のアンディはいわば囚人たちのリーダーであり、周りに希望を与える存在でした。しかし、本人にとってはあくまで自分の安らぎを求めるための行為であり、希望を与えることの根拠は明確ではありません。リーダーシップというものが、周りの人に自然と希望を抱かせる役割を担っているのかもしれません。
このほかにも、『希望は常に自分の中に存在する』『知らぬうちに自分は他人にとっての希望となっているかもしれない』といった考えもあり、別の機会に考察したい程たくさんの「希望」が語られました。
あなたにとっての希望は何でしょうか。是非一度、「ショーシャンクの空に」を見てみて下さい。できれば2回見ることをお勧めします。1回目は映画の世界観に浸りながら、2回目は今回のように「希望について」など一つの観点を持って。同じ映画でも、新たな発見があると思います。
また、今回のゼミでの考察内容はtwitter上で#melc2015という長岡ゼミオリジナルのハッシュタグをつけて公開しています。映画鑑賞中に感じたこと、ディスカッションの内容などリアルタイムの意見が書かれています。
http://togetter.com/li/818005
法政大学 長岡研究室
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