学生からの相談事のひとつに、「私、センスないので、○○は諦めた方が良いのでしょうか?」というものがあります。○○の部分には映像だとか、デザインだとか、そういったものが入ります。
企画書を作る事、映像を作る事などが学生であっても多くなっており、センスを問われる事が多いようです。故に、センスがないことにも気付いてしまい、何かを諦めようとするきっかけになるのでしょう。
一般のビジネスパーソンにとって、パワーポイント等のプレゼンテーションソフトは必須になっています。誰もが使うようになった結果、仕事において、また講演において残念なスライドを見たことがある方も居るかと思います。そう、以下の画像のような。
テクノロジーの進歩は、一部のプロだけに許されていた行為を一般の人にも広めました。それは可能性が広がるということでもあり、一方で誰もがセンスが問われるようになったとも言えるでしょう。
センスはないよりはあったほうが良い。しかし、センスというのは生まれつきのものだから仕方ない。この仕方ないというのは、「個人の努力ではどうしようもないので諦める」と、ある意味では「言い訳」にもなり得る言葉なのかも知れません。逆に、「あの人センスあるよね?」というのは、「ちゃっかり良いものをもらってズルい」というある種の嫉妬を含んだものである事さえあります。
さて、このような「センス」についての素朴な印象を一気にちゃぶ台返しするのが本書です。著者は、くまモンのデザインで有名な水野学氏。「センスは知識からはじまる」という書名通り、センスを知識の有無や量によって決まってくると述べます。
生まれつき知識の量が膨大な人はいません。
故に、知識とは生まれた後のプロセスによります。もちろん、記憶力の大小などはあるでしょうが、少なからずどれだけのプロセスを超えてきたかが知識の有無や量になるのです。その知識がセンスを決めると主張されています。
センスとは知識の集積である(P74)
というワンワードに著者の持論がまとまっています。
著者は、センスの良さを
数値化できない事象の善し悪しを判断し、最適化する能力である。(p18)
と定義し、センスを良くするためには、ある物事の「普通」を知る事が大切だと主張しています。
「普通」とは、
良いと悪いの一番真ん中にあるもの(p19)
であり、それがわかれば良いものを作る事ができるという訳です。そして、「普通」を知るための唯一の方法が知識を得ることだと言います。
そして、センスとは何かから、どうやってセンスを磨いていくのかについて、様々な例示を持って本書は展開されています。
あっと驚く売れる企画を目指し、あっと驚く売れない企画の存在に目を背けている。世の中の半分以上はこのあっと驚く売れない企画、とのこと
— 橋本 諭 (@satoshi_hashimo) 2014, 5月 3
——————-
さて、私もセンスについて悩んでいます。そして、諦めていました。前述した通り、仕方ないものだと思い込んでいたからです。しかし、本書の主張に従えば、センスは磨くことができるのです。そして、センスがないのは知識が無いからであり、それはつまり、「努力不足」なのです。
確かに、センスがないなと思う分野について、勉強していないと感じました。たとえば、私には、ファッションセンスが絶望的にないのですが、ファッション雑誌もファッション系のWebサイトも全く見ませんし、街を歩いている時に人のファッションにも興味を持っていません。故に、何が流行っているのかなどもわかりません。ああ、まさにその通りだと思った訳です。
また、その一方で知識によって何とかできるのではと思う事もあります。例えば、グラフィックデザインなどの分野です。それほど、大したものではありませんが、ゼミのパンフなどを作るにあたり、自己流で作成してみると、それはそれはひどいのです。そこで、勉強をしました。例えば、以下のような本です。
ノンデザイナーズ・デザインブック [フルカラー新装増補版]: Robin Williams, 吉川 典秀
この本は、デザイナーではない人に向けたデザインの本であり、どうすると綺麗に見えるのかということが実例を持って示されています。その内容に沿って作成してみると、「センスがある」と言えるかはわかりませんが、少なくとも以前よりはだいぶマシになったのではないかと思います。
「自分はセンスがない」
と感じている方は、どういった部分でそう感じているのでしょうか。もしかしたら、ちょっと勉強するだけで何とかなる分野かも知れません。また、少なくとも、何らかの努力=知識を得ることを行っているでしょうか。もし、実はセンスや才能があるのにも関わらず、ちょっとした所で躓いていただけだとすれば、それはとてももったいない事ですね。
センスを磨きたい、センスが欲しいという方には、一読をお勧めしたい一冊です。