Encamp振り返り 個人的な反省について

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 先日来参加させて頂いたEnCampについて振り返りを行っていますが、本日は一旦の締めくくりとして反省点を書きたいと思います。

 これまでのものは、以下の通りです。
東京大学中原研EnCampに参加します。 #encamp2012
EnCamp振り返り デザイナーからのお節介な贈り物

 さて、反省という風に書きましたが、それは日が経って初めて出てくるものであります。
 いくつか反省する点はあるのですが、最も反省しているのが最終日の最後のアクティビティであるラップアップについてです。

 ここでは、同志社女子大学上田ゼミ(GirlsBand)によるリフレクションムービーが流れたり、学部生、大学院生によるショートリフレクションがあったりしましたが、そのメインコンテンツであったと思うのは、東大中原先生、同志社女子大学上田先生、東京都市大学岡部先生、法政大学長岡先生による全体のリフレクションでした。

 その4名の振り返りは、流石というほどすばらしく、私を初めとする参加者は「ふんふん」とうなずきながら、時にメモを取りながら聞いていました。しかし、そのことに私は疑問を抱いたのです。

 このゼミ合宿全体を流れていたのは、「新しい学び」について考えることや「次世代のLearning Design」を考えるという事です。現在、「学びの世界」(Learning Scienceや教育工学等)では、様々な内容が議論されています。そして、この合宿ではそれらについて共に考え、共に学んでいくという事が志向された訳です。

 しかし、最後のラップアップにおいて、私は、オーソリティの話を聞くことで、「答え」を求めたのです。自分で考えることを放棄しているようにも思えました。また、その瞬間にあったのは「新しくはない」学びでしょう。

 実は大きな気付きでもあります。これまでのやり方(それを一旦古いと言えば)でも、当然「学び」は起きるのです。その意味で「新しい」も「古い」も意味はないという事です。もちろん、どういった内容を扱うのかや、対象者など様々な要素によって向き不向きはあるので、Designという視点に立てば、得意不得意はあるかと思います。しかし、ただ単に「新しい」ものに価値がある訳ではないという事に気付けたのは大きいです。

 敢えて、この場において「ベター」な選択肢があるとすれば、「自分だったら何を話すか」という事でしょうか。

 ということで、誰にも頼まれていませんが自分なりのラップアップを。

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 新しい「Leaning Design」があるとして、また開発されていくとしたときに、自分はそれをいかに「delivery」していくかに関心がある。それは、研究室で開発されたものを現場に「delivery」するという話ではない。その「Learning Design」を必要としている人に適切に届けるという意味だ。

 新しいものにありがちなのは、「新しい」という理由「だけ」で、良いものだと賞賛される事だ(古いものは逆)。しかし、誰にでも必ず役立つ「Learning Design」というものが開発されない限り、必ず得意分野と不得意分野があるはずだ。その意味で、特性とか特徴を理解した上で「適切」に届けるという必要性が出てくる。

 この「適切」というのが難しい。研究的に「実験群」と「統制群」を作るものも必要でしょう。実践を行い続けることも必要でしょう。しかし、常にチャレンジをしない限りは次が見えないという事でもあると思う。アンテナを張って、また、周りのチャレンジから学ぶ事が重要だと思っている。
 
 なお、どういった対象にチャレンジするのかは人によって違うと思う。自分の場合には、「中小企業」というのが、ひとつの軸足になるであろうか。最先端を追っていく人も必要だろうし、今まで忘れ去られていた人を対象にする事もあるだろう。自分は、常に「マス」を狙いたいと思う。それは、インパクトがあるからではない。「マス」や「マスだと思われている所」に抜け落ちた何かがあるような気がするからだ。

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この記事を書いた人

産業能率大学情報マネジメント学部 准教授 橋本諭(はしもと さとし)。
研究テーマは、ソーシャルビジネス、人材育成を扱っています。

橋本 諭

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