橋本ゼミでは毎年テーマを決めて活動を行っています。今年は、#AI時代のコンヴィヴィアリティ というテーマで活動を行っています。11月4日5日の瑞木祭にて発表を行います。4年ぶりに対面開催&一般のお客様も来場可になっておりますので、秋の紅葉観光と合わせてお越しいただけましたら幸いです。
目次
AIの急速な進歩
2022年から今年にかけて、AIは急速な進歩を遂げています。一般に触れられるものでもChatGPTのGPT3.5や、圧倒的に性能が上がったGPT4などは、過去のAIと比較して圧倒的な進化を感じます。そして、ここ数ヶ月AIの勉強を集中して行っていましたが、研究レベルでは更に、(体感的には)2つも3つも先をいったものが、本当に毎日のように発表されています。時代が急速に変化していることを感じます。
AIの生産者と消費者
他方、現実の世界においては、この進化が拡がっていないとも感じます。先日、神奈川県藤沢市辻堂駅で行われた辻フェスにてAI体験を行った所、その場で初めて「こういうものだったのね」というお客様が多くいらっしゃいました。タイムラグのようなものがあるのだと思います。
AIについて考えたとき、そこへの接し方には大きく2つに分かれると考えます。それは、AIを作る側(AIの生産者)とAIの消費者です。そして、圧倒的多数の人はAIの消費者になるのだと思っています。
もちろん、AIの生産者はただ作るだけではありませんので、AIを使ったサービスを作りAIでビジネスを行っていくことになるのでAIの消費者でもあります。つまり、圧倒的多数(ほぼすべて?)の人はAIの消費者として生きていくことになると思います。
AIの消費者としての問題点
AIについての一般の報道などを見ていて問題を感じる部分があります。それは、何らかの「難しい」内容を「AIを使って解決します」と発言されていることです。もちろん間違っている訳ではありません。しかし、AIの部分を完全にブラックボックスにして、その結果が「良いものである」という前提を受け取り手である我々はあまりにも無邪気に持ちすぎているのではないかと感じます。つまり、AIがあたかも万能かつ、悪意を持たない「ドラえもん」であるかのような受け取り方をしているのではないか。
このような問題意識のもと、ゼミでは、AIとの付き合い方を学ぶことにしてきました。産業主義的文化について述べているイヴァン・イリイチを題材として、彼が述べた、技術が人の役に立つという点「第1の分水嶺」と人に害を与える点「第2の分水嶺」という概念を参考に、AIにおける第1の分水嶺と第2の分水嶺とはなにかを考えてきました。正直な所、具体的な結論は出せていません。イリイチ自体が1970年代の話です。そこで示されているよりも2023年の現代は様々なものが進んでいます。それでも、その現在を生きる私達は第2の分水嶺を自覚することは難しいさえ思うのです。
さて、そんな中でも一つ言えることは、完全にブラックボックスとしてしまうことは第2の分水嶺を超えてしまうリスクを孕むのではないかということです。
AIだから、自分たちにはできないが「できる」と思い込んでしまうことは大きなリスクとなるということです。
AIを不謹慎に遊ぶ
そこで、学祭においては、「不謹慎に遊ぶ」ということを大きなテーマとしています。現在のAIは、何らかのインプットデータを処理し、アウトプットデータを出してくれます(この点は古典的なコンピュータと大差はない)。そのインプット・アウトプットの関係を見つつ、AIの振る舞いをともに考えるようなコンテンツを用意しました。
その際、あえて変なデータをインプットしてみたり、あり得ないシチュエーションを作ってみたりなど、「不謹慎に遊ぶ」ことを行っています。一つ一つは「ん?」と思うようなものが多いかと思いますが、あくまで実験的に考えています。
たとえば
- AI彼女(彼氏):画像生成AIを使って、理想の彼女(彼氏)を作る。
- AI相談:生成AIに人生を相談することはできるか?
- AI占い:AIが占いをしてくれたとしたら、どんな結果となるか?
- AIDJ:AIが作る音楽を僕らはどう感じるのか?
等々です。
準備をしつつ思っているのは、AIについて考えることは、ほぼほぼイコールで、私達の認識自体を問うことになりそうだと言うことです。
表面的には、相当にふざけています。誰にでも楽しんでもらえるものが出来上がっています(出来上がるはず)。
ぜひお越しください。
なお、模擬店も出店しています。地元伊勢原の獣害に目を向けて、鹿カレーを販売しています。今回の学祭の中で最も高額商品です。ただし、これも何故安くならないのか?を考えてもらうきっかけにしてもらいたいと思っています。
当初自分たちも「高い」という反応を示しましたが、それ自体が実は「高度に効率化された」現在の畜産の恩恵を受けているに過ぎないことが見えてきました。
お祭りですから楽しみます。しかし、ただ楽しむだけではないってのが橋本ゼミの一つのポリシーです。
辻フェスの様子。