Twitterで、久しぶりに言及されたので、「リフレクションビデオ」「リフレクションムービー」について書いてみたいと思います。
私が、リフレクションビデオを始めたのは、2012年の始めです。神戸芸術工科大の曽和先生 @infoguild の作品を見て感動し、自分もやってみたというのがスタートです。その後、いくつかの実践を行っています。
自分が映った映像をみて、正直驚いたのが最初です。今見ると、Youtube画質低いですが(それも時代ですよね)。普通に10年近く前なのです。
※最後のスチルカメラでの連射は、知り合いだとわかるのが不思議です。
目次
やってきたこと、考えてきたこと
どんな事を行い、また考えてきたのかをまとめると、①まず作ってみる ②リフレクションとは何か?を再度考える ③ビデオというツールはリフレクションに役立つのか?を問う、④ビデオを撮影するということ自体が学びにつながると考えると変遷してきました。
①まず作ってみるという段階は、こちらです。
2012年始めでしたので、動画自体がまだまだ一般的ではなかった時代です。まず、取り掛かってみるというスタンスでスタートしています。
MALLでの参加型リアルタイムビデオと3つの作品
その後、色々と声をかけてもらい実践を行っていきました。大きなイベントとしては、MALLのキックオフです。
一般に、参加者は「撮られるだけ」ですが、それ以外の選択肢を持ってもらうべく参加型でのリアルタイムビデオを行いました。ツイッターのハッシュタグで参加者にも動画の一部を作ってもらいました。
また、1つのイベントで3本の動画を作っています。動画が表せるのは一面に過ぎないということを異なる視点を持った動画で表現しました。
リフレクションとはなんだろうか?
その後、②リフレクションとは何か?については、ゼミ生の卒論と一緒に考えていきました。
文献等
リフレクティブマネージャー−中原先生によるリフレクションまとめ
Handbook of Reflection and Reflective Inquiry: Mapping a Way of Knowing for Professional Reflective Inquiry ※注文した際に、あまりの値段に驚きました。
議論していたのは、自分たちのやってきたリフレクションムービーは、参加者に「こんなことあったよね?」をどう超え、「リフレクションに資するか」がです。
イベントの最後に「楽しかった」ではない映像を見せるのは厳しいのですが、「楽しかっただけ」というのも違う訳です。
ひとつたどり着いた結論は、その場だけでのリフレクションで終わらないようにするということです。
そして、リフレクションにつなげるにはどうすればいいのかを考え続ける事になります。
ビデオはリフレクションの役に立つか?
それが、③ビデオというツールはリフレクションに役立つか? ということです。
たとえば、「実践を撮る」のではなく、「実践の一部にする」ということをやっています。
体験型ゲームのエンディングをリフレクションビデオの一部にすることにより、リフレクションビデオを見ることをワークショップの一部に埋め込んでいます。
曽和先生チームの動きなどでも学ばせてもらいました。
リアルタイムドキュメンテーションのドキュメンテーションです。メイキング的な発想ですが、撮影と編集をリアルタイムに行うというのがどのように作られているかを撮りました。
なお、撮影している最中は撮っている事は言わずに、彼らが当日のリフレクションビデオを上映した後に、お見せしました。撮っていたと思っていた人が撮られていたというビデオになっています(もちろんアップは許諾済み)。
チームワーク、撮影のこだわり、編集のこだわり、前提となるスキルや知識が感じられます。
リフレクションビデオへのスタンス
この場での曽和先生は、カメラを使って煽っていくスタイルだと思いました。自分は、いかに「客観的」に撮るかなんてことを考えていたので、スタンスの違いがとても勉強になりました。なお、曽和先生はイベントの最中をすべて記録する定点カメラなども使われています。
現在は「客観的」というのはあり得ないと考えています。それは、どこを撮影するか、また撮影した素材を編集するときの両方で、編集者の「思い」が入るからです。
加えて、ファシリテーター側に立つ(主催者側)ことが多くなるため、力関係の中から離れた無色透明な存在でいることはできない訳であり、自分たちが与える(良くも悪くもな)影響に無自覚ではいられない訳です。
※何かを記録するという立場における客観性やポジショナリティについては、クリフォードらの「文化を書く」の影響を受けています。
また、あるイベントで撮影したものを公開した所、後から「消して欲しい」と言われたことがあります。事前に許諾を撮っていましたが、撮影するということに慎重になるエピソードです。
チームスポーツとしてのリフレクションビデオ
こういった事を通じて、リフレクションムービー自体は、一つの著者性を持った作品として考えています。たとえば、同じイベントを複数人で撮影し、複数の動画を作り、その違いを見てもらったり(実践というレベルにはたどり着いていないのですが)、チームスポーツ的に考えたりしています。
つまり、なぜそのシーンを撮ろうと思ったのかについて、その後リフレクションを行うことで、ワークショップなどのイベントへの理解を深めていくことにつなげていくということです。それぞれが見ている場面、印象に残る場面の違い自体を確認することにより、視点の違いや視野狭窄となっている自分に気付くことにもつながります。
④のビデオを撮影するということ自体が学びにつながるのではないかという考え方です。
こちらは一つのイベントを10台以上のカメラで撮影したものです。総撮影時間は24時間を超えたと思います。権利の関係で一般公開ができないのが残念ですが、学内限定で今も使われています。
ディレクターを務めた学生の記事はこちらです。彼は、加えて、卒業論文においてリフレクションビデオとドキュメンタリとの違いを考察しています。
現在の取り組みと今後に向けて
また、公開できるものではありませんが、大学の授業の中で取り入れています。1年生対象としたゼミの始めのイベントでリフレクションムービーを作成し、流しています。
はじめは、まだ慣れない人たちと一緒にやったワークショップの振り返り映像です。通常の使い方だと思います。
その後、1年の終わりにもう一度見ることにしています。多くの学生は成長に気付くようです。1年間の成長を以前の自分を見ることにより、若干の恥ずかしさと共に気付けるといいます。以前の自分のことは忘れていますから、記録が必要なわけです。そして、見れば明らかに成長していることには気付けるという訳です。
なお、ここで必要なのは1年という時間です。リッチな時間は、大学という教育機関だからこそ許されることだと思います。また、教師という立場をかなり強引に使っているとも言えるかもしれません。
さて、最近はカメラや編集に興味がある学生が少なくなったことや、研究の興味関心が違う点に移ってきていることもあり、数多くの実践を行ってはいませんが、これからも取り組んでいきたいと思っています。
その際には、新しいテクノロジーを入れることや、驚いてもらえる要素をいれながら、リフレクションに資する何かを追求していきたいと思っています。
例えば、ファシリテーターの視線カメラなんか楽しそうだなと思っています。
3年前に撮った田舎の一風景。大学の前です。
今は、全く違った景色になっていて、更に1年後にはもっと違う姿になっているそうです。何気ない記録ですが、もう撮れない写真です。