「ゲーミフィケーション」という言葉が流行している。流行しているが故に定義はまちまちであるが、「ゲームの世界で用いられているテクニックを現実の世界に持ち込み、物事をよくする事」という風に捉えている。
現在、本学の学園祭にて体験型イベントを計画している。それは、ワークショップとも言えるものだろうし、アトラクションとも言えるものにするつもりだ。その内容を考える上で、「ゲーミフィケーション」を使用する事ができないか? という事がそもそもの発端である。その話をゲームに関する研究をされる早稲田大学の福山さんに相談したところ、本書を紹介してもらった。ありがとうございます。
本書では、ゲーミフィケーションとは何かを説明している訳ではない。その前提となるゲームとはどういったものであるか? といった定義に関する内容から、現在のゲームがどういった観点から設計(デザイン)されているのかという点が紹介されている。特に、(良い)ゲームが何故面白いのか? ハマってしまうのか? という点について、セリグマンらによるポジティブ心理学と合わせて説明されていて、理論的な面からも納得する点が多かった。
本書を読んでみて2つの感想を持った。
目次
ゲームの進化
1つ目の感想はゲームの進化である。
自分が小さい頃に良くやっていたゲームは、スーパーマリオブラザーズやファイナルファンタジー、ドラゴンクエストと言ったものだが、これらは、基本的には一人や数人で遊ぶものであった。よく、学校の休み時間などに、「○○まで言ったぞ」とか「レベルが○○になった」と言ったようなプレイ状況を共有して楽しむ事はあったが、ゲーム自体は個人の中で閉じている存在だった。しかし、本書で紹介されているゲームには、当然昔ながらのゲームもあるが、最近のネットワークゲームやソーシャルゲームや大規模マルチプレイゲームが含まれている。
また、これらのゲームも、今までの複数人でプレイしていたゲームをネットワークに対応させたというものではなく、大人数が同時にプレイしているからこそできる事が組み込まれていると言った「ネットワークで行う必然性」を感じた。ネットワーク対応になることがゲームの幅を広げていると感じたのだ。そして、それは、以前のゲームだけしか体験していない自分にはきちんと理解するのは難しいだろうなと思わされた。
一方で、筆者のゲームの定義は至ってシンプルだ。以下の4つに特徴があるという。
「ゴール」
「ルール」
「フィードバックシステム」
「自発的参加」
すなわち、プレイヤーに目的意識を与える「ゴール」が達成すべき具体的な成果としてはっきりしている事。ゴールに達するための制約が「ルール」として定められており、その制約が故にプレイヤーは考える事が求められている事。プレイヤーがゴールまでどのあたりまで来ているのかをプレイヤーに示されている(フィードバックシステム)事。プレイヤーは、こういった「ゴール」、「ルール」、「フィードバック」を理解したうえで、自ら進んで参加する事。以上の点である(PP39-PP40 )。
この定義はシンプルであるが、それ故に強力なものだと感じる。それは、「ゲーム」がゲームであるための最低限必要な事を定義しているように感じるからだ。逆に、この定義に当てはまらないものは、ゲームではないのだろうと感じさせる。
上記のような点から言える事は、ゲームは確かに進化しているのだが、その本質的なものは大きく変わっていないという事だ。
ゲームの設計の精緻さ
もう一点感じた点は、ゲーム設計の精緻さである。ゲームといえども、全てのゲームにのめり込んでしまう訳ではない。自分自身も楽しみにしていたゲームが、本当につまらなくてすぐに「投げ出してしまった」事もある。ゲームをやることが苦痛になるようなものもあった。
本書を読んで感じたのは、「面白いゲームは何故面白いのか? 逆につまらないゲームは何故つまらないのか?」ということが、極めて必然的なものであったのだなということだ。
ゲームデザイナー達は、ゲームが絶妙的なバランスを保てるように、様々な観点から検討しゲームに反映させている事が伝わってきた。極めて短絡的に言うのであれば、「想像以上に手間が掛かっている」という事だ。それは、よりリアルなグラフィックのために映像を工夫するという事もあるであろうが、それ以上に上記した4つの定義を充足させるための「仕掛け」作りや、仕掛けの「リアリティ」に置かれているようである。
特に、オンラインゲームにおいては、複数人数が協力するプロセスや協力する必然性がデザインされていた。それは、ゲームをデザインするというより、大規模なイベントを準備しているように感じられるものが多々あった。こちらについても、テトリスやインベーターゲームとはだいぶ違った世界が繰り広げられていた。
最後に
本書の内容をふまえて、ゲーミフィケーションについて考えてみると、ただ単純に「レベルアップ」や「得点」を記録するだけではないという事を痛感した。一方、ゲーミフィケーションといえども特別な何かをする訳ではなく、より良いワークショップをデザインする事と大きな意味での違いはないようにも感じられた。
ワークショップなどのイベントを創る際には、様々な過去の研究成果を持ち寄って行うものであるが、その1つとしてゲームからの知見を使うという事になるのだろう。とすれば、それは「使う」事に意味があるのでなく、「どう」使うのかが重要になってくるし、「使わない」ということもデザインの一部であると感じた。
<参考文献および参考URL>
幸せな未来はゲームが創る
福山さんによるゲーミフィケーションの紹介/
日本のゲーミフィケーションは「応用」のステージに