昔の大学生と比べて今の大学生は○○だ。という文脈においては、色々なテーマがあります。たとえば、若者の○○離れというように、(もともと近づいてもないという話はさておき、)昔と比較される事があります。
変わった部分と変わっていない部分がありますが、大きく変わったことのひとつとしてソーシャルネットワーキングサービスの普及が挙げられます。mixiやtwitter、facebookです。
mixiやtwitterは、ある程度の匿名性があるので、ネット内人格を作って仮想的に参加出来ますが、facebookはザッカーバーグの意図からでしょうか、実名主義が取られています。実名主義であるがゆえに、日本ではどこまで普及するのか未知数ではありますが、少なからずmixiは超えているようです。
SNSが普及することが学生に及ぼす影響として考えられるのは、これまであった進学に伴う人間関係の変化の起こりづらさです。大学に進学したとしても、高校時代の友人関係が強固に持続するという事です。今までも、前の関係を引きずる事はあったと思います。しかし、今ほど簡単に様々な人間関係をつなぐ事は出来なかったと思います。facebookを見ていれば、1画面で友人ほぼ全員が何をしているのかがつかめるのです。これは、とても便利であり、ハマってしまいそうです。
新しい組織において、人間関係を築くのは容易ではないと思います。自分のように人見知りな人間にとっては、至難の業です。しかし、それを乗り越えなければ、いつまでも新しい集団になじむことが出来ないのです。ある一定期間、全員が見知らぬ人間だった状態から、少しずつ友人が増えていき、そして、いつの間にかいくつかの集団が形成される訳です。その特殊な一定期間に、混じれないと、独りぼっち(ボッチ)になるのです。
その他、過去の自分から脱却し、新しいキャラとして新しい集団に属すこともこの期間になります。今までは、「一般大衆層」であったのが、「ちょっとオシャレ層」に入る事だったり、「ギャル」になることだったりです。一般にこういったことを「○○デビュー」と言っています。
この「デビュー」も、facebookができたことでやりにくくなるのかなと思います。それは、自分自身が、(別にデビューした訳ではないのですが)昔の友人と10年以上ぶりにfacebook上で繋がったときに、果たして昔はどんなキャラであったのかをすっかり忘れてしまっていて、もしかすると「こいつ変わったな」と思われるのではないかと思ったからです。
極めて自意識過剰な話かとは思うのですが、結果的に自分はいくつかの「キャラ」を使い分けています。それは、そのとき接してきた人達との相対的なものに他なりません。それでもfacebook上ではひとつの「橋本 諭」という人格です。どれも、自分であることは間違いありませんが、変化していることもまた事実です。
進学などによって、自分の「キャラ」を変化させたいと思っているときに、過去の自分の事を知っている人の存在は邪魔でしかありません。facebookには、過去の友達とのやりとりを今の友達に見せること(またその逆)があるため、「キャラ」を硬直化させる傾向にあると思います。
なんだか、それはとても窮屈におもいます。facebookって、リアルタイムよりは少し大人になってから使った方が精神衛生上良いのではないかと思います。
「大学デビュー」いいじゃないですか!!
と同じように、ボッチでもいいじゃないですか。
今は、本心でそう思います。