トヨタ自動車の負の一面を描き出した自動車絶望工場を読んだ。
1973年に出版されたものだが、2011年現在、その意味合いは以前のそれとは大きく異なると思う。
目次
1973年に書き出したもの
本書が指摘したのは、1973年当時の自動車製造工場における作業員の過酷な現状と、「本工」「期間工」という階層構造の現実だ。実際に著者が現場を体験するというルポの古典的な1冊だ。
工場における生産を生々しく書き出し、常に人が辞めていく現状、事故の描写などを織り交ぜながら、期間工の日常を描いている。それが生々しいものであるが故に、リアリティがある。
一方、本書は「労働者」側に寄っているという批判もある。つまり、経営側や資本家から見た「トヨタ」はまた違ったものになるであろう。言うまでもなく、名実ともに世界一にまで上り詰めた「JIT」や「カンバン方式」であり、「トヨタ生産システム」だ。
2011年現在
2011年現在においてはどのような意味があるのだろうか。
一つには変わらない現実があるであろう。トヨタだけではなく、日本社会全体として「本工」と「期間工」という関係である「正社員」と「非正規社員(とくに契約社員や派遣社員)」には処遇条件含め様々な格差があることは否めない。何も変わっていないか、あるいはもしかすると絶望の度合いは増しているのかもしれない。
一方、変わってしまったこととしては、本書にて「期間工」が地方の「出稼ぎ労働者」の働き口として機能していることが示されているが、その働き口が急速に失われつつあることだ。当然のごとく、円高により製造工場は急速に海外に展開されている。安い賃金で労働者を雇えることから人件費の削減効果も高く、一つの規定路線だ。
2011年7月には、「トヨタグループ、「日本のモノづくり」強化に向けた新体制」というように国内生産を守ろうという取り組みを行っている。守らなければなくなってしまうものであることが示唆される。
働き手としてどうするか
いち働き手として考えた場合、「期間工」としての仕事は、海外に取られていくことになる。同じ仕事を安い賃金でやるのであれば、当然そちらに流れる。同じ商品が100円と1000円で売られていたら、どちらを買いますか、という極めて単純な話だ。
何もしなければ仕事からあぶれてしまうのだ。これからも残るであろう仕事と、その中でのイス取りゲームに勝てるだけの総合的なスキルが求められている。これはもう、レースは始まっているのだと思う。
絶望とは何か
本書を読んでいれば、確かに期間工としての絶望は伝わってくる。しかし、その中にどこか希望を見いだしてしまうのだ。それは、日本という国が右肩上がりの成長をしており、今日より明日の方がいいはずだと、国民の大多数が思い描いていただろう気配を感じるのだ。確かにキツい仕事はしている。しかし、彼らは「車を買い」「結婚し」「家を買って」いるのだ。
端的に言えば、「今より全然マシじゃないかよ」と。