バングラディシュの貧困層に対し、DVDを使ったeラーニングを提供することで、田舎者と貧乏人には無理と言われていた最難関国立大学に合格させるという奇跡を起こした、早稲田大学3年生の社会起業家、税所篤快(さいしょ あつよし @AtsuyoshiGCC)さんの「前へ、前へ、前へ」を読んだ。
目次
eラーニングによるイノベーションとは、こういうことだったのか
彼は、グラミン銀行のモハマド・ユヌス博士についての本(グラミン銀行を知っていますか―貧困女性の開発と自立支援)に影響を受け、その勢いのままバングラディッシュに飛び、ついにグラミン銀行でプロジェクトをスタートさせてしまう。
詳細は本書を参照してもらいたいが、彼は、生きていくので精一杯で大学進学なんて夢のまた夢というような、バングラディッシュの貧困層に対し、eラーニングを使い大学合格をもたらした。もたらしたのは、大学合格というよりも、貧困層でも人生を変えられるという希望だろう。間違いなくeラーニングによるイノベーションである。使った技術は、予備校の授業を映像としてDVDにし、PCで学習するというもの。
えっ、
そう、もう10年以上前から実現可能な「枯れた」技術である。eラーニングに関与していた人間ならば、誰でも思いつくはずのものだ。しかし、彼は、それを行動し、実現させてしまう。
eラーニングをやっていた人間からすれば、うれしさと、反面悔しさがある。「eラーニングはイノベーションを起こせるはずだ」なんて思っていながら、何もやれなかったからだ。
結果を見れば、eラーニングによってイノベーションが起きた。インパクトしては、MITのオープンコースウェアよりも大きいのではないだろうか。
社会起業家とは?
本書の帯には、「20歳の社会起業家」とある。社会起業家(Social Entrepreneurs)とは、定義については色々あるが「社会問題解決と組織存続の両立を可能にする収益構造を兼ね備えた、革新的な事業を起こす起業家」とされている 中小企業基盤整備機構2011(LINK)。
要は、「社会の問題を事業によって解決する人」だろう。←専門家には殴られそうですね。
ただ、この「社会起業家」ってのは、最近の流行言葉でもある。猫も杓子も「社会起業家」というムードがある。起業家自身がそうであるように、当然玉石混交であって、賞賛する声もあれば、批判する声もある。
賞賛する側とすれば、グラミン銀行が行ったマイクロクレジットが注目されてきたように、今までできなかったことを起こしたことに対するものがある。一方、批判する側としては、「社会貢献」という言葉に、いろいろなものを隠しているのではないかというもの。たとえば、事業による利益をあげられないとしても、それは社会貢献だからと逃げるというものや、「社会起業家」とは名ばかりの明らかに詐欺的なものもあると思う。
個人的には、この「社会起業家」というラベリングは、よくわからなかったりする。それは、社会起業家自体は、最近言われてきたことだが、実は昔からあった事なのではないかと思うからだ。
たとえば、明治時代の日本資本主義の父と言われている渋沢栄一は、数々の企業を興してきたが、それらは当然利潤を追求した「事業」ではあるが、結果的に日本という国に与えた影響というのは社会問題を解決したものであると思うのだ。もちろん、それは渋沢栄一だけではなく、過去の「起業家」達も本質的には社会問題を解決してきたと思う。つまり、社会起業家というラベルが通常の起業家とどう違うのか、それがよくわからないのだ。
さて、こんな事をつらつらと考えていたが、本書に出てくる税所君の行動には、「そんなこと、どうでもいいんじゃない? 目の前にもっと厳しくて、それでいて最高に面白い事があるんだよ」とでも言われそうな勢いがある。なにか、「難しいRPGに熱中して朝がきてしまった」時のような「フロー」感が漂ってくるのだ。
その行動力は、本書の至る所から「溢れて」しまっている。本なんかに収まるものではないのだろう。表題に書いた「世界を変える方法」があるとしたら、それは圧倒的な行動力なんだと痛感させられた。
大学教育とはなんだろう
さて、彼は早稲田大学の3年生だという。2年終了時の単位が8単位ということで、どう考えても「優等生」ではない。
しかし、どんなにすばらしい授業を行ったとしたら、彼のような人材を輩出することができるのだろうか。
大学とは、彼のような人材に、社会の中でのある種のモラトリアムを与える存在でありさえすれば良いのではないだろうか。 そんなことも思えてくる。
教育に携わるものとしては、色々と考えざるを得ない。
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若い人のエネルギーにふれ、「自分も何かやらなきゃ」と元気をもらえた。
最近、何となく、煮え切らない思いを抱えている人にオススメ。